AxDx時代の薬剤師資格の考え方|第2部
その転職は「逃避」か「投資」か?
――薬剤師の市場価値を変えるキャリアの選び方

はじめに――「転職すれば年収が上がる」は、いつまで通用するのか?
「今の薬局では、これ以上成長できない気がする」
「病院で専門性を磨いてきたけれど、給与がなかなか上がらない」
「転職すれば年収が50万円上がると言われた。でも、5年後はどうだろう?」
薬剤師として働いていれば、一度くらいはこんなことを考えた経験があるのではないでしょうか。
薬剤師免許は、勤務先が変わっても失われません。病院から薬局へ、薬局からドラッグストアへ、あるいは企業へと、働く場所を変えられることは大きな強みです。
しかし、ここに一つの落とし穴があります。
「転職できること」と「転職することで自分の価値が高まること」は、同じではありません。
これまで薬剤師の転職は、給与、勤務地、休日、職場の人間関係などを中心に語られることが多かったように思います。
もちろん、これらは生活を支える大切な条件です。
ただ、AIとDXが進む時代には、もう一つの視点が必要になります。
それは、**「その職場で過ごす3年間は、次の5年間の自分に何を残してくれるのか?」**という問いです。
第1部では、薬剤師免許の価値と、その免許を使って生み出す価値は必ずしも同じではないことを考えました。
第2部では、転職とキャリア形成に焦点を当てます。
転職を繰り返す薬剤師は不利になるのでしょうか。長く同じ職場にいる薬剤師の方が有利なのでしょうか。
そして、AI・DX時代に、薬剤師は何を基準に職場を選べばよいのでしょうか。
1.薬剤師の転職は、決して珍しいことではない
まず、薬剤師の転職を考えるうえで、興味深い研究があります。
厚生労働科学研究の「医療需要や医師の働き方等の変化を踏まえた病院薬剤師の需要把握のための研究」です。
薬剤師届出票データを用いて職種の変遷を調べた研究では、各調査年度の病院薬剤師の約10%が2年後には転職しており、その転職先の約70%が薬局だったと報告されています。
特に20代の病院薬剤師で薬局への転職が多い傾向が示されました。
ただし、この数字は病院薬剤師を対象とした特定期間の分析です。すべての薬剤師の転職率を表しているわけではありません。
それでも、病院から薬局への移動が現実に一定規模で起きていることは分かります。
では、転職した薬剤師は、その後どうなったのでしょうか。
年収が上がったのか。専門能力が高まったのか。仕事への満足度は改善したのか。
残念ながら、今回確認した研究だけでは、そこまで結論づけることはできません。
ここは重要な点です。
転職した人が多いことは分かっても、転職が成功したかどうかは別の問題なのです。
薬剤師の転職を評価するには、単なる転職回数ではなく、転職によって何を得たのかを調べる必要があります。
2.年収50万円アップは、本当に「得」なのか?
薬剤師の転職では、年収が分かりやすい判断材料になります。
厚生労働省の職業情報提供サイト「job tag」によると、令和7年賃金構造基本統計調査をもとにした薬剤師の全国平均年収は566.8万円です。
もちろん、これは全国平均であり、個々の薬剤師の適正年収や転職市場での提示額を示すものではありません。
それでも、自分の給与を客観的に考える一つの目安になります。
例えば、次の2人を考えてみましょう。
Aさん:32歳、薬局薬剤師
現在の年収は500万円。転職先から550万円を提示されています。
ただし、新しい職場では、これまでとほぼ同じ調剤・服薬指導業務が中心です。教育制度や新しい業務への挑戦機会は、あまり明確ではありません。
Bさん:32歳、薬局薬剤師
現在の年収は500万円。転職先の提示額は520万円です。
しかし、在宅医療への参加、医師との連携、医療DXの運用、若手薬剤師の教育などを経験できる環境があります。
この2人のどちらが得なのでしょうか。
初年度の給与だけを比較すれば、Aさんです。
しかし、5年後の市場価値まで考えた場合、結論は簡単ではありません。
Bさんが新しい経験を積み、より大きな役割を担えるようになれば、将来の選択肢が広がる可能性があります。
一方、Aさんも、給与が高いことで生活の安定や自己学習への投資余力を得られるかもしれません。
つまり、どちらが正解とは言えません。
大切なのは、年収の増加と、将来の職業能力の増加を分けて考えることです。
年収50万円の差は、単純計算で5年間なら250万円です。
この金額を軽視すべきではありません。
ただし、その間に身につく能力や経験、働き方の持続可能性、昇進の可能性も比較する必要があります。
なお、薬剤師について「転職回数が何回以上なら生涯所得がいくら減少する」といった因果関係を示す十分な根拠は、今回の調査では確認できませんでした。
したがって、転職回数が多いだけで不利と決めつけることも、転職すれば収入が上がると一般化することも適切ではありません。

3.同じ10年の経験でも、なぜ差が生まれるのか?
ここで、少し厳しい問いを考えてみます。
「薬剤師経験10年」という言葉は、その人の能力をどこまで説明できるでしょうか。
例えば、次のような2人がいたとします。
一人は、同じ薬局で10年間勤務し、毎日多くの処方箋に対応してきました。
もう一人は、複数の職場で10年間勤務し、外来調剤、在宅医療、病院との連携、医療安全対策、スタッフ教育などを経験しました。
後者の方が必ず優秀なのでしょうか。
そうとは限りません。
同じ薬局に10年間勤務していても、患者の変化を継続的に観察し、処方提案や副作用の早期発見を重ね、医師から信頼される薬剤師になっている人もいるでしょう。
逆に、複数の職場を経験していても、どの職場でも同じ仕事を繰り返しているだけなら、経験の幅が能力の向上につながっていない可能性があります。
つまり、重要なのは勤続年数でも転職回数でもありません。
「何年働いたか」より、「その年月で何ができるようになったか」です。
薬剤師の経験を評価する際には、少なくとも次の4つを区別する必要があります。
- 業務経験:どのような仕事を担当してきたか
- 専門能力:どの程度の薬学的判断ができるか
- 実績:患者、医療チーム、組織にどのような成果をもたらしたか
- 再現性:別の職場でも、その能力を発揮できるか
特に最後の「再現性」は、転職市場で考えるべき重要な視点です。
ある薬局では高く評価されていても、その能力が特定のシステムや人間関係だけに依存している場合、別の職場では同じ成果を出せないかもしれません。
反対に、患者情報の収集、薬学的評価、医師への提案、スタッフ教育などを自分で組み立てられる薬剤師は、環境が変わっても能力を発揮できる可能性があります。
ただし、これら4つは本記事の分析上の整理であり、確立された薬剤師の市場価値評価尺度ではありません。

4.AI・DXが進むと、転職市場で何が変わるのか?
ここからが、今回のテーマの核心です。
AIやDXが薬剤師業務に広がると、薬剤師の仕事はどう変わるのでしょうか。
例えば、薬歴の下書き、医薬品情報の整理、報告書の作成、業務データの集計などは、AIによる支援が考えられる領域です。
これまで30分かかっていた作業が、仮に15分で済むようになったらどうでしょうか。
単純計算では、15分の時間が生まれます。
ただし、この数字は説明のための仮定であり、薬剤師業務における一般的なAI導入効果を示す実測値ではありません。
重要なのは、短縮した15分を何に使うかです。
一人は、そのまま次の事務作業に取りかかる。
もう一人は、患者の服薬状況を詳しく確認し、副作用の可能性を検討し、必要な情報を医師に提供する。
AIを使ったという点では、二人は同じです。
しかし、AIによって生まれた時間を、専門的な価値に変えられるかどうかは異なります。
もちろん、AIの導入によって必ず時間が短縮されるわけではありません。確認作業やシステムへの入力が増え、かえって負担が増える場合も考えられます。
また、AIが得意とする情報整理と、患者の状態を踏まえた臨床判断は区別しなければなりません。
だからこそ、AI・DX時代に必要なのは、単なる操作スキルだけではないのです。
AIを使える薬剤師から、AIを使って何を改善したかを説明できる薬剤師へ。
この変化が、今後のキャリア形成において重要になると考えられます。
ただし、現時点でAI活用能力が薬剤師の転職年収をどの程度引き上げるのか、信頼できる定量的な推定値は確認できません。
将来の市場価値への影響は、検証すべき仮説です。

5.「転職しない」という選択も、立派なキャリア戦略になる
ここまで読むと、転職して新しい経験を積んだ方が有利だと感じるかもしれません。
しかし、それは必ずしも正しくありません。
むしろ、現在の職場で新しい役割を獲得できるのであれば、転職しない方が合理的な場合もあります。
例えば、地域の患者を長年担当してきた薬剤師には、短期間では得られない強みがあります。
患者の生活背景、服薬歴、家族の状況、地域の医療機関との関係などです。
こうした継続的な関係性は、職場を変えることで一部が失われる可能性があります。
また、管理薬剤師や薬局長として、業務改善、人材育成、医療安全、地域連携を実践できる環境があるなら、そこには新たな成長機会があります。
大切なのは、現在の職場に成長の余地があるかどうかです。
例えば、次のような問いを考えてみてください。
「1年前と比べて、新しくできるようになったことは何だろう?」
「今の職場では、来年どんな役割を任せてもらえるだろう?」
「この職場で培った能力は、別の薬局や病院でも役立つだろうか?」
これらに具体的に答えられるなら、転職しないことにも十分な意味があります。
一方、職場に教育機会がなく、新しい役割への挑戦も難しいのであれば、転職を検討する合理的な理由になります。
ただし、成長だけが働く目的ではありません。
家庭、健康、介護、生活の安定、仕事への満足感なども、職場選択において尊重されるべき条件です。
「成長できない人は価値が下がる」という単純な話ではありません。
6.転職を考えるときの「5つの質問」
では、実際に転職を検討するとき、何を確認すればよいのでしょうか。
年収や休日などの労働条件を確認したうえで、次の5つの質問を加えることを提案します。
質問①:3年後、どんな仕事ができるようになっているか?
求人票に「スキルアップ可能」と書かれていても、それだけでは分かりません。
在宅医療、専門的な薬学管理、病棟業務、教育、経営管理など、具体的な経験機会を確認します。
質問②:その職場では、誰から何を学べるか?
教育制度があるかどうかだけでなく、実際に指導する人がいるか、学んだことを実践できるかが重要です。
質問③:AI・DXは、どのような目的で使われているか?
電子薬歴やAIツールの導入だけでなく、業務改善や医療安全、患者支援につながっているかを確認します。
質問④:成果は、どのように評価されるか?
処方箋枚数や勤務時間だけでなく、専門能力、患者支援、業務改善、人材育成などが評価される仕組みがあるかを見ます。
質問⑤:この職場を離れるとき、何を実績として説明できるか?
これは少し変わった質問かもしれません。
しかし、次の転職を前提にするという意味ではありません。
自分の仕事を振り返ったとき、経験や成果を具体的に説明できる環境かどうかを確認するための問いです。
これらは、求人票の点数をつけるための科学的な評価尺度ではありません。
転職先を比較する際に、給与以外の重要な条件を見落とさないための質問です。
7.転職する薬剤師だけの問題ではない――薬局経営者・管理者への問い
ここまで、薬剤師個人の立場から考えてきました。
しかし、この問題は薬局経営者や管理薬剤師にも関係します。
例えば、若手薬剤師が退職を申し出たとき、どのように受け止めるでしょうか。
「せっかく育てたのに辞めてしまう」
「最近の若い人は我慢が足りない」
そう感じることもあるかもしれません。
しかし、転職理由が給与だけではなく、成長機会の不足や将来のキャリアが見えないことにあるとしたらどうでしょうか。
令和6年度厚生労働省委託事業として実施された病院薬剤師の確保に関する調査報告では、キャリアパスや育成体系が不明確な場合、将来を描けない不安から離職につながる可能性が指摘されています。
同報告では、管理職としてのキャリアと専門性を高めるキャリアの双方を示し、育成機会を提供することの重要性が整理されています。
これは病院薬剤師を中心とした報告ですが、中小薬局の人材育成にも参考になる考え方です。
例えば、5人の薬剤師がいる薬局で、全員に同じ仕事を割り振り、勤続年数だけで給与を決めていたとします。
それぞれの得意分野や将来の希望を把握せず、成長の機会も明確にしていなければ、能力を伸ばしたい薬剤師ほど将来に不安を感じるかもしれません。
一方で、薬剤師の希望に応じて、在宅医療、医療安全、患者フォロー、地域連携、教育などの役割を設定できれば、職場の中でキャリアを広げる可能性があります。
もちろん、中小薬局には人員や資金の制約があります。大病院と同じ教育制度を整備することは難しいでしょう。
だからこそ、規模に応じた育成の仕組みが必要になります。
薬剤師が辞めないことだけを目標にするのではなく、「ここで働くと、どんな薬剤師になれるのか」を説明できる組織になること。
それが、人材確保と薬局経営の両方に関わる課題です。

8.想定される反論――「キャリアの成長」ばかり求めるのは現実的か?
ここまでの議論には、当然ながら反論もあるでしょう。
「毎日忙しく、目の前の調剤業務だけで精いっぱいだ」
「家庭や育児を優先したい。キャリアアップを求められても困る」
「専門性を高めても、給与が上がらない職場は多いのではないか」
いずれも重要な指摘です。
まず、薬剤師全員が管理職や専門薬剤師を目指す必要はありません。
安定した勤務を続け、患者に必要な医薬品を安全に提供することにも社会的価値があります。
また、専門能力を高めれば必ず年収が上がるという保証もありません。
能力があっても、地域の求人状況、勤務先の経営状態、評価制度などによって処遇は変わります。
そして、教育機会の不足を薬剤師個人の努力不足に置き換えることも適切ではありません。
本人が努力しても、学習機会や業務経験が与えられなければ、成長には限界があります。
逆に、組織が研修制度を整えても、本人が何を学びたいかを考えなければ、制度が十分に活用されない可能性もあります。
したがって、キャリア形成は、個人だけの責任でも、組織だけの責任でもありません。
双方が関わる問題として考える必要があります。
私見――「逃げる転職」が悪いのではない。「何も残らない転職」がもったいない
私は、薬剤師の転職を良いこととも悪いこととも考えていません。
また、職場を変える理由を、安易に「逃避」と決めつけるべきではないと思っています。
過重労働やハラスメント、安全を脅かす職場環境などから離れることは、必要な選択です。
給与や生活条件を改善するための転職も、当然ながら合理的です。
そのうえで、キャリア形成という観点から、一つ提案したいことがあります。
転職先を探すときには、年収だけでなく「その職場で何を持ち帰れるか」を考えてほしい。
病院で学んだ薬物治療の知識を、薬局の患者支援に活かす。
薬局で経験した在宅医療や地域連携を、次の職場で発展させる。
管理薬剤師として培った教育や業務改善の経験を、別の組織でも再現する。
こうした経験は、勤務先が変わっても、自分の中に残ります。
そして、もう一つ大切なことがあります。
それは、転職しなくても、自分の仕事を変えることはできるということです。
同じ薬局で働きながら、新しい患者支援の方法を考える。医師や看護師との連携を深める。AIを活用して業務を改善する。若い薬剤師の成長を支える。
これらも立派なキャリア形成です。
薬剤師免許は、取得した時点で専門職としての入口に立つための資格です。
しかし、その免許を使って何を積み重ねてきたかは、一人ひとり異なります。
これからの時代、重要なのは「何回転職したか」ではなく、「どこで、何を学び、どんな価値を生み出せるようになったか」ではないでしょうか。
転職はゴールではありません。自分の可能性を広げるための、数ある選択肢の一つです。
次回、第3部では、視点を薬局経営者・管理者に移します。
「薬剤師を採用すること」と「薬剤師の価値を育てること」は、どう違うのでしょうか。
AI・DX時代に、中小薬局がどのような人材育成戦略を持つべきかを考えます。
参考資料
- 厚生労働省「薬剤師確保対策」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/yakuzaishikakuho.html - 厚生労働科学研究成果データベース「医療需要や医師の働き方等の変化を踏まえた病院薬剤師の需要把握のための研究」
https://mhlw-grants.niph.go.jp/project/164746 - 厚生労働科学研究成果データベース「医療需要や医師の働き方等の変化を踏まえた病院薬剤師の需要把握のための研究」(後続研究)
https://mhlw-grants.niph.go.jp/project/170497 - 厚生労働省
職業情報提供サイト job tag「薬剤師」
https://shigoto.mhlw.go.jp/User/Occupation/Detail?occupationId=158 - 日本病院薬剤師会「令和6年度厚生労働省委託事業」報告書
https://jshp.or.jp/content/2025/0424-5-1.pdf - 厚生労働省「職業能力開発基本計画」(令和8年3月31日告示)
https://www.mhlw.go.jp/web/t_doc?dataId=00013950&dataType=0&pageNo=1
※本記事の人物例、年収条件、AIによる時間短縮の数値は説明用の仮定です。研究・統計に基づく実測値とは区別しています。
👉【note版】:AxDx時代の薬剤師資格の考え方|第2部 その転職、年収50万円アップなら「成功」ですか?