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11/07/2026

薬剤師の退職から考える薬局経営 ──倒産最多と報酬改定の時代に、人材で勝つ構造のつくり方 薬剤師の退職事情 <後編>

 薬剤師の退職から考える薬局経営

──倒産最多と報酬改定の時代に、人材で勝つ構造のつくり方

薬剤師の退職事情 <後編>

2025年の調剤薬局業界には、二つのショックがありました。

一つは倒産件数です。東京商工リサーチによると、2025年に倒産した調剤薬局は38件(前年比35.7%増)で過去最多を更新。負債1億円未満の小規模倒産が29件と全体の76.3%を占め、その多くは「販売不振」でした。帝国データバンクの年度集計でも、2025年度の倒産は30件と2年連続で最多更新。8割超が資本金1000万円未満で、特に「門前型」の苦境が鮮明です。

もう一つは2026年度の調剤報酬改定です。門前薬局の立地依存が見直され、調剤基本料は処方箋集中率で評価が分かれる制度となり、6月1日に施行されました。「立地と処方箋で稼ぐ」モデルの終焉が、公式な制度設計として宣言された形です。

この二つのショックの交差点にあるのが「薬剤師の退職」です。私はコンサルタントとして、この時期に事業計画を見直す薬局経営者と話す機会が多いのですが、売上・報酬・立地の議論に比べて、「退職という現象を経営課題として設計している」薬局は驚くほど少ない。本稿では、薬剤師の退職データから薬局経営の打ち手を読み解きます。

1. なぜ今、退職が「経営の死」に直結するのか

前提として、日本の薬局の人材構造を確認しましょう。日本には6万軒を超える薬局があり、その多くは薬剤師2〜3名の小規模店舗です。管理薬剤師が一人欠けると、最悪の場合その日は営業できません。処方箋応需が月4,000回を超えるような店舗なら、営業停止1日で数十万円規模の売上が消えます。

それでも採用するしかない理由は、市場の価格に現れています。厚生労働省の調査では、薬剤師の有料職業紹介の手数料は平均122.5万円、賃金に対する割合は平均22.5%。業界の相場として、採用年収の20〜30%が成功報酬として動きます。さらに帝国データバンクの報告は、現実の破綻事例として「大手ドラッグストアの進出による競合激化に加え、薬剤師の確保に苦慮し、最終的に破産した」調剤薬局の実例を紹介しています。東京商工リサーチも、大手の賃上げによる人材囲い込みのしわ寄せが中小に直撃していると指摘します。

つまり今の薬局経営では、「退職者ゼロ」の経営は実現できなくても、「退職1人あたりのコスト」を管理しない経営は破綻リスクと直結します。退職は経理上の費用項目ではないけれど、実態は「紹介料+空白期間の売上損失+引継ぎコスト+残った人材の負荷増」を生む、最大級の変動費なのです。

 

試算の一例を示しましょう。年収600万円の管理薬剤師が退職したとします。紹介手数料は相場(年収の20〜30%)で120万〜180万円。欠員によって営業を縮短・停止した日は、処方箋の規模次第で1日数十万円の売上が消えます。さらに、退職した管理薬剤師が担っていた薬歴管理、在宅対応、近隣医療機関との関係構築は、すぐには代替できません。残ったスタッフの負荷が増えれば、次の退職の引き金になる──退職は連鎖する現象です。こうして数えると、退職1人あたりの総コストは容易に300万円を超えます。年間300万円の定着投資が退職を1件防げば、投資はその時点で回収済み。この計算ができるかどうかが、採用予算の使い道を決めます。

2. 退職理由の正体──「一身上の都合」を信じない経営

では、薬剤師はなぜ辞めるのか。前回の記事(国際比較編)で詳しくお伝えしましたが、要点だけ再確認します。

厚生労働省委託調査(令和3年度、施設調査)では、薬局薬剤師の退職理由は「一身上の都合」27.8%、「契約期間の満了」21.2%、「職場の人間関係」8.0%とされています。しかし匿名調査では、人間関係はおおむね45〜57%前後、業務負荷・労働環境は25〜40%前後、給与・評価への不満は30〜39%前後で、常に上位を占めます。公式データと本音の乖離は、日本の薬局の構造──少人数・閉鎖空間・狭い業界──が生む「自己防衛」です。

そして、退職を決意させるトリガーには傾向があります。①医薬品供給不足への対応の徒労感(毎日の謝罪と調整業務で専門性を感じられない)、②カスハラに対する組織の冷淡な対応(東京都薬剤師会の調査では、薬局薬剤師の69.1%がカスハラを経験)、③「代わりがいないから休めない」という一人薬剤師的な体制、④頑張りが評価・還元されないという確信。多くの相談者は、こうした要因が2つ以上重なったときに退職へ動きます。

さらに、経営者が知るべきは「誰が動きやすいのか」です。人材紹介の現場では、①入社1〜3年目の若手(教育体制の崩壊や同期の離職への不安が原動力)、②少人数店舗で一人薬剤師を経験した人(「とにかく休みたい」という切実な要求を抱えて相談に来る)、③就任後1〜3年の若手・中堅管理薬剤師(「数万円の手当で、スタッフの労務管理、患者クレーム対応、本部の薬歴・加算ノルマ達成まで背負わされ、割に合わない」という不満)の3類型が動きやすいとされます。前回の記事で触れた年代データ(退職者の中心は30代30.3%、40代23.4%)と合わせると、最も代替が難しい人材──管理薬剤師を務められる中堅──が、最も静かに退職を決意する構造が見えてきます。

つまり、退職は「突然の個人的な事件」ではなく、職場の構造が生む再現性のある現象です。再現性があるなら、経営で設計できます。

3. 弱みを強みに変える──中小薬局の人材戦略

「給与で大手に勝てない」「ブランドがない」というのが、独立系・中小薬局の一般的な自覚です。ここで給与額の高低を正面から戦わせるのは無謀です。しかし、退職理由の本音を分解すると、大手が構造的に手を打ちにくい領域があることに気づきます。そこが中小の強みを置ける場所です。

(1)「休める構造」への投資

本音の業務負荷の中核は「一人薬剤師で休めない」ことです。大手は店舗の規格とコスト管理が厳しく、個店の応援体制を柔軟に組みにくい。一方、中小薬局なら、近隣薬局との応援協定、パート薬剤師の併用、オンライン服薬指導や処方箋事前受付の活用など、「休める構造」を自社の裁量で設計できます。経営者にしか決められない権限ですが、だからこそ実行すれば競争優位です。

(2)カスハラ対応の「盾」を経営者自身が務める

海外の調査では、経営側が盾となるゼロトレランス方針が整備されています。日本の本音では「本部が患者様第一と言って現場を守らない」ことが退職の決定打になります。大手では本部方針を変えられませんが、中小の経営者は「患者からの暴言は私が対応する」と言語化し、マニュアル化できる。この一言が、心理的安全性の実質です。

(3)評価の見える化

給与の本音は「金額」より「頑張りと還元が結ばないこと」にあります。かかりつけ同意数、在宅対応件数、地域支援への貢献──2026年度改定で評価が一本化された服薬管理指導料をはじめ、対人業務の成果は点数として可視化されました。これを役割手当として本人に返す設計は、大手の一律評価より速く作れます。

(4)紹介手数料を定着投資に置き換える計算

平均122.5万円の紹介料は、1人分の増員・応援体制・評価還元の年間コストに相当します。紹介料を払い続けるビジネスモデルは「ザル構造の固定費」です。定着投資に置き換える発想が、採用予算の質を変えます。

(5)在職者の本音を測る仕組み

英国のRPS調査のように、退職の前段階(バーンアウトリスク、人員配置、支援体制)を在職者に匿名で測る仕組みを、年1回・外部集計で導入します。退職者だけに聞くと、すでに職場への期待を失った人の声に偏ります。在職者の不満が測れる薬局は、採用面接でも「うちではこういうことを測っています」と語れる、最大の訴求材料を持つことになります。

ここで重要なのは、これらの施策は「給与の大盤振る舞い」を一切必要としないことです。弱みの補正を給与でやろうとすると、大手との資金力勝負になり、独立系は必ず負けます。しかし、応援体制・盾・評価の見える化・本音を測る仕組みという四つは、資金力ではなく「設計の自由と距離の近さ」で実現する施策です。大手チェーンでは本部方針との調整に時間がかかりますが、中小薬局なら経営者の決断一つで来月から始められます。構造変化の時代には、決断の速さこそが最大の資産です。

4. 人材戦略は「ビジネスモデル転換」とセットで

注意すべきは、定着策だけ実装しても、集客構造が立地依存のままでは成り立たない、という点です。2026年度改定は、門前型・立地依存の調剤基本料を減算・格付けし、「かかりつけ薬局」への転換を制度が後押しする方向です。つまり経営課題は「人材で勝つ」ことと「対人・在宅・地域支援で売上の柱を張り替える」ことの二本立てであり、この二つは実は同じ問題です。

対人業務の充実は、薬剤師にとって「専門性が活きる職場」の実現そのものです。米国の調査では、職業満足度が高い薬剤師でも4人に1人が離職を考えており、薬剤師は「職業」ではなく「職場の設計」で辞めます。在宅医療、かかりつけ機能、地域連携──こうした新しい役割を任せられる薬局は、離職防止装置そのものになります。英国では2026年9月以降、新規薬剤師が独立処方者として登録される時代に入ります。世界の薬剤師は「より患者に近い専門職」へ進んでいます。日本でもその流れは止まりません。若手に「対物から対人へ」の成長パスを設計できるかどうかが、今後の採用と定着を分けます。

視点を変えれば、2026年度改定は「人材の質」を経営の中心に引き上げた制度だとも読めます。立地という「不動産の運」で稼げた時代、人材は費用でした。しかし処方箋集中率で評価が分かれ、かかりつけ・在宅・地域支援で売上を張り替える時代には、人材は「その薬局の参入障壁」になります。同じ門前薬局でも、在宅対応のできる管理薬剤師が二人いる薬局と、一人薬剤師で細々と回す薬局とでは、制度の上でも市場の評価でも、まったく異なる扱いを受けることになるでしょう。倒産38件の内訳を見ると、最大の原因は「販売不振」(25件、構成比65.7%)でした。「売れる仕組み」と「残れる職場」は、別の施策に見えて、実は同じものなのです。

5. まとめ──退職を「管理会計」にしてしまう経営

整理します。調剤薬局の倒産は2年連続で最多を更新し、小規模・門前型の苦境はこれから深まります。報酬制度は立地依存を減点し、対人業務へ評価を移しています。この時代に、退職1人を「仕方のない現象」として扱う経営には、もう残高がありません。

退職1人あたりのコスト(紹介料平均122.5万円、空白期間の売上損失、引継ぎコスト)を財務として認識し、退職理由の建前(一身上の都合27.8%)を信じず、本音(人間関係・負荷・評価)を在職者から測定し、「休める構造」「盾の明文化」「評価の見える化」という、大手が打ちにくい施策を自社の裁量で実装する。これが、独立系・中小薬局が「弱み(給与・ブランド)」を「強み(設計の自由と距離の近さ)」に変える道です。

最後に、実務からの一言です。退職面談で「一身上の都合です」と言われたら、私は経営者にこう返事します。「その一言を、採用と経営の学習データにしてください」と。退職者の理由は、その薬局のオペレーションが本当はどこで壊れていたのかを示す、唯一無二の診断データです。面談の記録を「一身上の都合」で閉じる薬局と、退職面談での本音の掘り下げ→在職者調査での検証→施策の修正というサイクルに組み込む薬局。5年後、採用市場で説明力を持つのは、間違いなく後者です。

退職者の声を経営改善の入力にするサイクルを持つ薬局は、売り手市場の終わりが来ても採用に困らない。退職をコストとして見るのか、設計対象として見るのか。その分岐が、今後10年の薬局経営を分けると私は考えています。

参考(主な出典)

•   東京商工リサーチ「2025年『調剤薬局』倒産動向」(2026年1月)

•   帝国データバンク「『調剤薬局』の倒産動向(2025年度)」(2026年4月)

•   2026年度調剤報酬改定に関する公表資料(調剤基本料の見直し、服薬管理指導料への一本化など)

•   厚生労働省委託「令和3年度 薬剤師確保のための調査・検討事業」報告書

•   東京都薬剤師会 カスタマーハラスメント実態調査(2024年)

•   マイナビ薬剤師白書(2023年版)/スマスタ「薬剤師100人アンケート」/リクルートメディアルキャリア調査

•   RPS/Pharmacist Support「Workforce Wellbeing Survey」2024年調査

•   2024 National Pharmacist Workforce Study

 

👉【note記事】:「薬剤師の退職から考えておきたいこと」|薬剤師の退職事情<後編>

👉【Blogger記事】:「薬剤師の退職理由は世界とここが違う」|薬剤師の退職事情<前編>

薬剤師の退職理由は世界とここが違う ──「一身上の都合」の裏側を読み、弱みを強みに変える経営の考え方 |薬剤師の退職事情 <前編>

 薬剤師の退職理由は世界とここが違う

──「一身上の都合」の裏側を読み、弱みを強みに変える経営の考え方
薬剤師の退職事情 <前編>

薬局経営者の皆さんに、一つ質問です。退職面談で「一身上の都合です」と告げられたとき、その言葉をどう受け止めていますか。私はコンサルタントとして、薬局・調剤業界の組織と人材の課題に向き合う中で、この一言をそのまま信じている経営ほど定着率が上がらない現場を数多く見てきました。

結論を先に述べます。日本の薬剤師の退職理由データは、構造的に「建前」が出やすい仕組みになっており、海外の調査とは「そもそも何を測っているのか」が異なります。この違いを読み解ける経営者は、退職を「防げない事故」ではなく「構造で制御できる経営課題」として扱えます。そして、大手チェーンに給与とブランドで正面から勝てない独立系・中小の薬局こそ、この視点を持つことで「弱みを強みに変える」一手を打てるのです。

1. 公式データが語る「建前」の世界

まず、日本の公式データを見てみましょう。厚生労働省委託「令和3年度 薬剤師確保のための調査・検討事業」(施設調査、退職者449人)によれば、薬局薬剤師の退職理由は「一身上の都合」が27.8%、「契約期間の満了」が21.2%と、この2つで約半分を占めます。一方、「職場の人間関係」は8.0%、「給与水準の不一致」は4.9%にとどまります。

ところが、匿名性を担保した民間調査を重ね合わせると、様相は一変します。

•   薬剤師100人アンケート(スマスタ、2021年):辞めたい理由の最多は人間関係(パワハラ含む)で57%、次いで長時間労働・激務25%、正当に評価されない16%

•   m3.com会員アンケート(約485件):転職を決意した理由のトップは「職場の人間関係に問題があった」で46.2%

•   リクルートメディアルキャリア調査(2024年公表):転職を考え始めたきっかけは「業務負荷が高い」39.4%、「給与への不満」38.6%、「人間関係への不満」33.3%

•   マイナビ薬剤師白書(2023年版):退職検討理由は給与条件34.6%、人間関係31.7%、仕事内容・やりがい31.4%、勤務時間29.4%

つまり、公式の世界では「人間関係8%」、本音の世界では「人間関係はおおむね45〜57%前後」。同じ業界の同じ現象を測った数字が、6倍以上も違うのです。業務負荷・労働環境(公式で7%前後、本音で25〜40%前後)、給与・評価(公式で4.9%、本音で30〜39%前後)も同様の乖離を示します。

なぜこうなるのか。理由は構造的です。少人数の調剤室では、退職時に「人間関係が悪かった」と正直に言えば、残る同僚や薬局長に直接影響が及びます。薬剤師業界は世間が狭く、特に地方では薬局経営者同士が薬剤師会の会合で顔を合わせ、医薬品卸の担当者経由で「あそこで辞めたらしいよ」という情報が瞬く間に回ります。次の職場の面接で「人間関係で辞めた」と伝えると、協調性を疑われかねない。だから本人たちは、自己防衛の最適解として不満を「一身上の都合」という安全な言葉にパッケージングして出ていくのです。

 もう一つ、公式データから読み取れる重要な事実があります。退職者の年代です。薬局の退職者は30代が30.3%、40代が23.4%と中堅層が中心で、20代は11.4%にすぎません。若手が動く前に、経験を積んだ中堅──特に管理薬剤師を務められる層──が動く。薬局にとって最も代替コストが高い人材が、最も静かに去っていく構造です。また、同じ調査の本人調査では、薬局薬剤師の75.5%が転職意向を持っていないことも分かっています。「4人に3人は辞めない」。退職は全員に起きるのではなく、特定の構造を持つ職場で集中的に起きる現象なのです。

2. 海外のデータは「そもそも測り方が違う」

では、先進国の薬剤師はどうなのでしょうか。まず押さえるべきは、日本との比較では「何を測っているのか」がそもそも違うという事実です。

英国では、王立薬剤師会(RPS)と支援団体Pharmacist Supportが毎年、職場のウェルビーイング調査(Workforce Wellbeing Survey)を実施しています。直近の調査(6,500件超の回答)では、回答者の87%がバーンアウト高リスクに分類され、その背景として不十分な人員配置70%、ワークライフバランスの欠如49%、経済的圧力47%、同僚・上司からの支援不足47%、長時間労働34%が挙げられています。米国の2024年 National Pharmacist Workforce Study では、現役薬剤師の25.5%が「今後1年で現職を離れる可能性が高い」と答え、フルタイム勤務者の73%が業務負荷を高く評価し、26%が過去12カ月にいじめ・脅迫・嫌がらせを経験しています。

一方で、実際の離職率に目を向けると、国際的な系統的レビュー(Thin et al.、2022年、28研究)によれば薬剤師の職場からの離職率は8.6〜17%、英国NHS薬剤師の年間離職率は2023-24年度で10.3%。日本の業界目安とされる「10%前後」と、大きな差はありません。

ここから導かれる重要な事実は二つです。

第一に、離職率の絶対値は世界的に見れば大差がないということ。辞める人材は、どの国でも辞めています。第二に、差は「可視化の仕組み」にあるということ。英国や米国では、バーンアウト・人員配置・支援体制といった「退職の前段階」が職能団体によって継続的に測定され、その数字が公然と業界の議論を動かしています。日本の公式調査は、退職後に事業所が記録した「退職理由」の分類が中心で、しかもそこには建前が混入します。つまり日本は「辞めた後の理由」しか測らず、しかもその理由が歪んでいる。これが「日本だけ退職の本音が見えない」という構造的な原因です。

もう一つ、米国データから読み取るべき示唆があります。米国では職業満足度が比較的高い(69.1%)にもかかわらず、離職意向が25.5%あります。これは「職業への満足」と「現在の職場への不満」が両立する、という現実を示しています。薬剤師離職は「職業が終わったから辞める」のではなく、「職場という設計が合わなかったから辞める」のです。この視点を持つか否かで、経営者の打ち手はまったく変わります。

3. 本音の中身は、日本と海外で「質」が違う

さらに踏み込むと、ストレスの「質」の相違が見えてきます。

日本の退職本音の最大項目である「人間関係」は、狭い調剤室という閉鎖空間で、管理薬剤師や事務員といった身近な相手と1日中向き合う、いわば水平的・空間的なストレスです。日本には6万軒を超える薬局があり、1店舗あたりの薬剤師は2〜3名という世界でも稀な密度の小規模モデルで成り立っています。この構造では、誰か一人が欠けても応援が効きにくく、人間関係が固定化されます。一人薬剤師の時間帯にトイレにも行けない、という切実な声は、まさにこの構造の産物です。

対して英米の調査で語られるのは、むしろ経営層や企業システムとの対立、いわば垂直的なストレスです。米国の大手チェーンは店舗が大きくスタッフも多いため「密室」は発生しにくい代わりに、予防接種のノルマや処方箋処理のKPIとの板挟みによる道徳的苦痛(moral distress)──「専門職として患者にやりたいことがあるのに、企業の数値目標がそれを許さない」というジレンマがバーンアウトの主因として報告されています。

カスハラ(患者ハラスメント)への向き合い方も対照的です。東京都薬剤師会の調査(2024年、回答489人)では、薬局薬剤師の69.1%がカスハラを経験しており、英国の調査でも医薬品供給不足に関連した患者の暴言が深刻な問題です。違いは、その「後の処理」にあります。英国では、暴言を吐く患者にサービスを提供しないというゼロトレランスの方針が労働法制や業界ガイドラインとして整備され、経営側が盾になることが前提です。日本では「患者様第一」の美名の下、本部や経営が現場に謝罪を強要する構図が残り、薬剤師は患者ではなく「守ってくれない会社」に絶望して退職します。ハラスメントの有無ではなく、対応制度の有無こそが、国際比較における本質的な相違点なのです。

なお、正直に言えば、「日本の建前と本音の乖離が先進国で最も大きい」と断定することはできません。公式調査(事業所が記録した退職理由)と匿名調査(本人の回答)は、そもそも測定対象が異なるためです。しかし経営者にとって重要なのは、その学術的な留保を超えた先にあります。自社の退職面談で得られる情報が、構造的に「建前」に偏っているという事実。そして海外では、退職の前段階(バーンアウト・人員配置・支援体制)が数字として可視化され、経営改善の入力に使われているという事実です。この二つを認めた瞬間に、打ち手は見えてきます。

4. 経営者は「数字の見え方」を経営資源にできる

ここまでがデータの整理です。経営の視点で重要なのは、この「見え方の差」を自社の競争力に変える発想です。独立系・中小薬局には、次の4つの実践を推奨します。

(1)退職理由を「分解」して測る。「一身上の都合」を信じないだけでなく、在職者への年1回の匿名調査で、人員配置・休憩の取得可能性・管理者の支援・評価への納得感・ハラスメント対応といった具体項目に分けて測定します。英国型のウェルビーイング測定を簡易に模倣する発想です。小規模薬局では回答者が推測されるリスクがあるため、薬剤師会や外部機関経由の集計が有効です。辞める前に問題を把握できる仕組みを持つ薬局は、採用面接でも「うちではこういうことを定期的に測っています」と語れる、最大の訴求材料になります。

**(2)カスハラ対応の「盾」を明文化する。**投資はほぼ不要です。経営者自身が「患者からの暴言は私が対応する」と言語化し、対応フローをマニュアル化するだけです。大手にはできない、社長が直接盾になる対応は、小規模組織ならではの強みです。

**(3)評価の見える化。**本音の給与不満の実体は、金額そのものより「頑張りと還元が結ばない」ことです。かかりつけ同意の件数、在宅対応の件数、地域支援への貢献といった対人業務への成果を、役割手当として数字で返す設計は、大手の一律評価よりはるかに早く作れます。

**(4)紹介手数料を「定着投資」に置き換える。**厚生労働省の調査では、薬剤師の有料職業紹介の手数料は平均122.5万円、賃金に対する割合は平均22.5%です。年収600万円の薬剤師なら120万〜180万円。さらに管理薬剤師が欠ければ営業停止のリスクまで背負います。この資金を1人分の増員、応援体制の構築、評価還元に回す計算は、財務的に十分成立します。ザルのように人が抜ける職場に紹介料を払い続けるより、構造への投資のほうが合理的です。

試算してみましょう。年収600万円の管理薬剤師が退職した場合、紹介手数料は120万〜180万円。欠員で営業を縮め・止めた日には、処方箋の規模次第で1日数十万円の売上損失が発生します。薬歴や患者との信頼、近隣医療機関との顔の喪失、残ったスタッフの負荷増まで含めれば、退職1人あたりの総コストは容易に300万円を超えます。逆に言えば、年間300万円の定着投資が退職を1件防げば、その時点で投資は回収済みです。

5. 弱みを強みに変える、という思考

最後に整理しましょう。独立系・中小薬局の本当の弱みは「給与で大手に勝てない」「ブランドがない」ことではありません。「退職の本音を測り、改善し、語る仕組みを持っていないこと」にあります。薬剤師の離職率そのものは世界的に大差なく、人材はどの職場でも辞めます。差がつくのは、辞める理由を構造から消す経営を持つかどうかです。

その意味で、時代は独立系に味方しています。2026年度の調剤報酬改定では、かかりつけ薬剤師指導料の廃止と服薬管理指導料への一本化など、対人業務の評価が一段と進みました。英国では2026年9月以降、新規登録の薬剤師が独立処方者として登録される制度へ移行するなど、世界的に薬剤師の専門性は「調剤の正確さ」から「患者への関与の深さ」へ移行しています。こうした「専門性を発揮できる場の設計」は、本部方針との調整が必要な大手よりも、小さな薬局のほうが速く実現できます。

退職者が出ることは、正しく測れば経営改善の最高の入力データです。「一身上の都合」という建前を丁寧に読み解くこと──それが、日本ならではの文化を知り、自社の弱みを強みに変える最初の一手になります。

参考(主な出典)

•   厚生労働省委託「令和3年度 薬剤師確保のための調査・検討事業」報告書(mhlw.go.jp)

•   合同会社スマスタ「薬剤師100人アンケート」(2021年)

•   m3.com 薬剤師コラム「薬剤師の『退職』にまつわる本音」

•   リクルートメディアルキャリア調査(2024年公表)

•   マイナビ薬剤師白書(2023年版)

•   RPS/Pharmacist Support「Workforce Wellbeing Survey」2024年調査

•   2024 National Pharmacist Workforce Study

•   Thin et al.(2022)薬剤師離職に関する系統的レビュー

•   東京都薬剤師会 カスタマーハラスメント実態調査(2024年)

•   2026年度調剤報酬改定に関する公表資料

 

👉【note記事】:「日本と海外で違う、薬剤師の「辞め方」」|薬剤師の退職事情<前編>

👉【Blogger記事】:「薬剤師の退職から考える薬局経営」|薬剤師の退職事情 <後編>

 

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