薬剤師の退職から考える薬局経営
──倒産最多と報酬改定の時代に、人材で勝つ構造のつくり方
薬剤師の退職事情 <後編>

2025年の調剤薬局業界には、二つのショックがありました。
一つは倒産件数です。東京商工リサーチによると、2025年に倒産した調剤薬局は38件(前年比35.7%増)で過去最多を更新。負債1億円未満の小規模倒産が29件と全体の76.3%を占め、その多くは「販売不振」でした。帝国データバンクの年度集計でも、2025年度の倒産は30件と2年連続で最多更新。8割超が資本金1000万円未満で、特に「門前型」の苦境が鮮明です。
もう一つは2026年度の調剤報酬改定です。門前薬局の立地依存が見直され、調剤基本料は処方箋集中率で評価が分かれる制度となり、6月1日に施行されました。「立地と処方箋で稼ぐ」モデルの終焉が、公式な制度設計として宣言された形です。
この二つのショックの交差点にあるのが「薬剤師の退職」です。私はコンサルタントとして、この時期に事業計画を見直す薬局経営者と話す機会が多いのですが、売上・報酬・立地の議論に比べて、「退職という現象を経営課題として設計している」薬局は驚くほど少ない。本稿では、薬剤師の退職データから薬局経営の打ち手を読み解きます。
1. なぜ今、退職が「経営の死」に直結するのか
前提として、日本の薬局の人材構造を確認しましょう。日本には6万軒を超える薬局があり、その多くは薬剤師2〜3名の小規模店舗です。管理薬剤師が一人欠けると、最悪の場合その日は営業できません。処方箋応需が月4,000回を超えるような店舗なら、営業停止1日で数十万円規模の売上が消えます。
それでも採用するしかない理由は、市場の価格に現れています。厚生労働省の調査では、薬剤師の有料職業紹介の手数料は平均122.5万円、賃金に対する割合は平均22.5%。業界の相場として、採用年収の20〜30%が成功報酬として動きます。さらに帝国データバンクの報告は、現実の破綻事例として「大手ドラッグストアの進出による競合激化に加え、薬剤師の確保に苦慮し、最終的に破産した」調剤薬局の実例を紹介しています。東京商工リサーチも、大手の賃上げによる人材囲い込みのしわ寄せが中小に直撃していると指摘します。

つまり今の薬局経営では、「退職者ゼロ」の経営は実現できなくても、「退職1人あたりのコスト」を管理しない経営は破綻リスクと直結します。退職は経理上の費用項目ではないけれど、実態は「紹介料+空白期間の売上損失+引継ぎコスト+残った人材の負荷増」を生む、最大級の変動費なのです。
試算の一例を示しましょう。年収600万円の管理薬剤師が退職したとします。紹介手数料は相場(年収の20〜30%)で120万〜180万円。欠員によって営業を縮短・停止した日は、処方箋の規模次第で1日数十万円の売上が消えます。さらに、退職した管理薬剤師が担っていた薬歴管理、在宅対応、近隣医療機関との関係構築は、すぐには代替できません。残ったスタッフの負荷が増えれば、次の退職の引き金になる──退職は連鎖する現象です。こうして数えると、退職1人あたりの総コストは容易に300万円を超えます。年間300万円の定着投資が退職を1件防げば、投資はその時点で回収済み。この計算ができるかどうかが、採用予算の使い道を決めます。
2. 退職理由の正体──「一身上の都合」を信じない経営
では、薬剤師はなぜ辞めるのか。前回の記事(国際比較編)で詳しくお伝えしましたが、要点だけ再確認します。
厚生労働省委託調査(令和3年度、施設調査)では、薬局薬剤師の退職理由は「一身上の都合」27.8%、「契約期間の満了」21.2%、「職場の人間関係」8.0%とされています。しかし匿名調査では、人間関係はおおむね45〜57%前後、業務負荷・労働環境は25〜40%前後、給与・評価への不満は30〜39%前後で、常に上位を占めます。公式データと本音の乖離は、日本の薬局の構造──少人数・閉鎖空間・狭い業界──が生む「自己防衛」です。
そして、退職を決意させるトリガーには傾向があります。①医薬品供給不足への対応の徒労感(毎日の謝罪と調整業務で専門性を感じられない)、②カスハラに対する組織の冷淡な対応(東京都薬剤師会の調査では、薬局薬剤師の69.1%がカスハラを経験)、③「代わりがいないから休めない」という一人薬剤師的な体制、④頑張りが評価・還元されないという確信。多くの相談者は、こうした要因が2つ以上重なったときに退職へ動きます。
さらに、経営者が知るべきは「誰が動きやすいのか」です。人材紹介の現場では、①入社1〜3年目の若手(教育体制の崩壊や同期の離職への不安が原動力)、②少人数店舗で一人薬剤師を経験した人(「とにかく休みたい」という切実な要求を抱えて相談に来る)、③就任後1〜3年の若手・中堅管理薬剤師(「数万円の手当で、スタッフの労務管理、患者クレーム対応、本部の薬歴・加算ノルマ達成まで背負わされ、割に合わない」という不満)の3類型が動きやすいとされます。前回の記事で触れた年代データ(退職者の中心は30代30.3%、40代23.4%)と合わせると、最も代替が難しい人材──管理薬剤師を務められる中堅──が、最も静かに退職を決意する構造が見えてきます。
つまり、退職は「突然の個人的な事件」ではなく、職場の構造が生む再現性のある現象です。再現性があるなら、経営で設計できます。
3. 弱みを強みに変える──中小薬局の人材戦略
「給与で大手に勝てない」「ブランドがない」というのが、独立系・中小薬局の一般的な自覚です。ここで給与額の高低を正面から戦わせるのは無謀です。しかし、退職理由の本音を分解すると、大手が構造的に手を打ちにくい領域があることに気づきます。そこが中小の強みを置ける場所です。
(1)「休める構造」への投資
本音の業務負荷の中核は「一人薬剤師で休めない」ことです。大手は店舗の規格とコスト管理が厳しく、個店の応援体制を柔軟に組みにくい。一方、中小薬局なら、近隣薬局との応援協定、パート薬剤師の併用、オンライン服薬指導や処方箋事前受付の活用など、「休める構造」を自社の裁量で設計できます。経営者にしか決められない権限ですが、だからこそ実行すれば競争優位です。
(2)カスハラ対応の「盾」を経営者自身が務める
海外の調査では、経営側が盾となるゼロトレランス方針が整備されています。日本の本音では「本部が患者様第一と言って現場を守らない」ことが退職の決定打になります。大手では本部方針を変えられませんが、中小の経営者は「患者からの暴言は私が対応する」と言語化し、マニュアル化できる。この一言が、心理的安全性の実質です。
(3)評価の見える化
給与の本音は「金額」より「頑張りと還元が結ばないこと」にあります。かかりつけ同意数、在宅対応件数、地域支援への貢献──2026年度改定で評価が一本化された服薬管理指導料をはじめ、対人業務の成果は点数として可視化されました。これを役割手当として本人に返す設計は、大手の一律評価より速く作れます。
(4)紹介手数料を定着投資に置き換える計算
平均122.5万円の紹介料は、1人分の増員・応援体制・評価還元の年間コストに相当します。紹介料を払い続けるビジネスモデルは「ザル構造の固定費」です。定着投資に置き換える発想が、採用予算の質を変えます。
(5)在職者の本音を測る仕組み
英国のRPS調査のように、退職の前段階(バーンアウトリスク、人員配置、支援体制)を在職者に匿名で測る仕組みを、年1回・外部集計で導入します。退職者だけに聞くと、すでに職場への期待を失った人の声に偏ります。在職者の不満が測れる薬局は、採用面接でも「うちではこういうことを測っています」と語れる、最大の訴求材料を持つことになります。
ここで重要なのは、これらの施策は「給与の大盤振る舞い」を一切必要としないことです。弱みの補正を給与でやろうとすると、大手との資金力勝負になり、独立系は必ず負けます。しかし、応援体制・盾・評価の見える化・本音を測る仕組みという四つは、資金力ではなく「設計の自由と距離の近さ」で実現する施策です。大手チェーンでは本部方針との調整に時間がかかりますが、中小薬局なら経営者の決断一つで来月から始められます。構造変化の時代には、決断の速さこそが最大の資産です。
4. 人材戦略は「ビジネスモデル転換」とセットで
注意すべきは、定着策だけ実装しても、集客構造が立地依存のままでは成り立たない、という点です。2026年度改定は、門前型・立地依存の調剤基本料を減算・格付けし、「かかりつけ薬局」への転換を制度が後押しする方向です。つまり経営課題は「人材で勝つ」ことと「対人・在宅・地域支援で売上の柱を張り替える」ことの二本立てであり、この二つは実は同じ問題です。
対人業務の充実は、薬剤師にとって「専門性が活きる職場」の実現そのものです。米国の調査では、職業満足度が高い薬剤師でも4人に1人が離職を考えており、薬剤師は「職業」ではなく「職場の設計」で辞めます。在宅医療、かかりつけ機能、地域連携──こうした新しい役割を任せられる薬局は、離職防止装置そのものになります。英国では2026年9月以降、新規薬剤師が独立処方者として登録される時代に入ります。世界の薬剤師は「より患者に近い専門職」へ進んでいます。日本でもその流れは止まりません。若手に「対物から対人へ」の成長パスを設計できるかどうかが、今後の採用と定着を分けます。
視点を変えれば、2026年度改定は「人材の質」を経営の中心に引き上げた制度だとも読めます。立地という「不動産の運」で稼げた時代、人材は費用でした。しかし処方箋集中率で評価が分かれ、かかりつけ・在宅・地域支援で売上を張り替える時代には、人材は「その薬局の参入障壁」になります。同じ門前薬局でも、在宅対応のできる管理薬剤師が二人いる薬局と、一人薬剤師で細々と回す薬局とでは、制度の上でも市場の評価でも、まったく異なる扱いを受けることになるでしょう。倒産38件の内訳を見ると、最大の原因は「販売不振」(25件、構成比65.7%)でした。「売れる仕組み」と「残れる職場」は、別の施策に見えて、実は同じものなのです。
5. まとめ──退職を「管理会計」にしてしまう経営
整理します。調剤薬局の倒産は2年連続で最多を更新し、小規模・門前型の苦境はこれから深まります。報酬制度は立地依存を減点し、対人業務へ評価を移しています。この時代に、退職1人を「仕方のない現象」として扱う経営には、もう残高がありません。
退職1人あたりのコスト(紹介料平均122.5万円、空白期間の売上損失、引継ぎコスト)を財務として認識し、退職理由の建前(一身上の都合27.8%)を信じず、本音(人間関係・負荷・評価)を在職者から測定し、「休める構造」「盾の明文化」「評価の見える化」という、大手が打ちにくい施策を自社の裁量で実装する。これが、独立系・中小薬局が「弱み(給与・ブランド)」を「強み(設計の自由と距離の近さ)」に変える道です。

最後に、実務からの一言です。退職面談で「一身上の都合です」と言われたら、私は経営者にこう返事します。「その一言を、採用と経営の学習データにしてください」と。退職者の理由は、その薬局のオペレーションが本当はどこで壊れていたのかを示す、唯一無二の診断データです。面談の記録を「一身上の都合」で閉じる薬局と、退職面談での本音の掘り下げ→在職者調査での検証→施策の修正というサイクルに組み込む薬局。5年後、採用市場で説明力を持つのは、間違いなく後者です。
退職者の声を経営改善の入力にするサイクルを持つ薬局は、売り手市場の終わりが来ても採用に困らない。退職をコストとして見るのか、設計対象として見るのか。その分岐が、今後10年の薬局経営を分けると私は考えています。

参考(主な出典)
•
東京商工リサーチ「2025年『調剤薬局』倒産動向」(2026年1月)
•
帝国データバンク「『調剤薬局』の倒産動向(2025年度)」(2026年4月)
•
2026年度調剤報酬改定に関する公表資料(調剤基本料の見直し、服薬管理指導料への一本化など)
•
厚生労働省委託「令和3年度 薬剤師確保のための調査・検討事業」報告書
•
東京都薬剤師会 カスタマーハラスメント実態調査(2024年)
•
マイナビ薬剤師白書(2023年版)/スマスタ「薬剤師100人アンケート」/リクルートメディアルキャリア調査
•
RPS/Pharmacist Support「Workforce Wellbeing Survey」2024年調査
•
2024
National Pharmacist Workforce Study
👉【note記事】:「薬剤師の退職から考えておきたいこと」|薬剤師の退職事情<後編>
👉【Blogger記事】:「薬剤師の退職理由は世界とここが違う」|薬剤師の退職事情<前編>



