カスハラ対策は「負担」か「チャンス」か?
―2026年10月、薬局経営者が考えるべき本当の意義―
2026年10月1日から、改正労働施策総合推進法に基づくカスタマーハラスメント(以下、カスハラ)対策に関する指針が適用され、事業主にはカスハラ対策に係る雇用管理上の措置が求められることになりました。日本薬剤師会も2026年9月に「薬局におけるカスタマーハラスメント対策マニュアル(暫定版)」を公表しています。 薬局におけるカスタマーハラスメント対策マニュアル101712_…
薬局経営者にとって、これは「また新しい義務が増えた」と感じる制度かもしれません。
マニュアルを作る。
相談窓口を設置する。
職員研修を行う。
患者への掲示を行う。
トラブル時の対応フローを決める。
確かに、すべてコストと手間がかかります。
しかし私は、カスハラ対策を単なるコンプライアンス対応として終わらせるのは、非常にもったいないと考えています。
むしろ今回の制度対応は、
「患者に選ばれる薬局」と同時に、「職員にも選ばれる薬局」をつくる機会
として捉えるべきではないでしょうか。
1.なぜ薬局でカスハラが問題になるのか
薬局は、一般の小売店とは少し違います。
患者は「欲しい商品を買いに来る顧客」ではありません。
病気や痛み、不安を抱えている。
長時間病院で待ってきた。
さらに薬局でも待たされる。
薬が不足している。
以前と自己負担額が違う。
希望する薬を出してもらえない。
しかも、疑義照会、監査、服薬指導など薬剤師が安全のために行っている業務の多くは、患者からは見えません。
日本薬剤師会のマニュアルも、医療保険制度や自己負担の複雑さ、医薬品の供給不足、患者から見えにくい薬剤師業務など、薬局だけでは解決困難な事情が苦情や強い要求につながることを指摘しています。 薬局におけるカスタマーハラスメント対策マニュアル101712_…
つまり薬局は、
「患者の不満が薬局に集まりやすい構造」
を持っているのです。
実際、日本薬剤師会の調査を引用した資料では、薬局で報告されたカスハラの形態として、大声・暴言・脅迫的言動62.2%、過剰・不当な要求42.0%、不当なクレーム31.6%、長時間拘束27.9%、人格否定・侮辱的言動27.8%などが挙げられています。薬局のカスハラ対策
厚生労働省の調査でも、薬局を含む「医療・福祉」は、過去3年間に顧客等から著しい迷惑行為を受けた経験のある業種の上位に位置しています。薬局カスタマーハラスメントの実態と対応策
カスハラは、決して一部の特殊な患者だけの問題ではありません。
2.ここで経営者が間違えてはいけないこと
今回の制度を受けて、
「患者から文句を言われたらカスハラ」
と考えるのも危険です。
日本薬剤師会のマニュアルでは、カスハラを判断するとき、
①要求内容が正当か
②要求を伝える手段・態様が相当か
を分けて考えることが重要とされています。正当な苦情や相談をカスハラと決めつけず、誠実に対応することが求められています。 薬局におけるカスタマーハラスメント対策マニュアル101712_…
ここは薬局経営上、非常に重要です。
例えば、
「待ち時間が長すぎる」
という患者の指摘があったとします。
これはカスハラとは限りません。
実際に業務フローが悪いのかもしれない。人員配置に問題があるのかもしれない。処方箋受付時に「30分程度かかります」と説明していれば防げたトラブルかもしれません。
正当なクレームには、
薬局経営を改善するための情報
が含まれています。
一方、
「今すぐ薬を出せ!」
「お前はバカか!」
「SNSに名前を晒すぞ!」
などの暴言、威圧、脅迫まで従業員に我慢させる必要はありません。
日本薬剤師会のマニュアルでも、暴力、脅迫、人格否定、大声による威圧、執拗な要求、長時間の居座りなどを典型的な例として挙げています。 薬局におけるカスタマーハラスメント対策マニュアル101712_…
患者中心とは、患者の要求をすべて受け入れることではありません。
ここを経営者が明確にする必要があります。
3.カスハラ対策を「負担」と考えた薬局
今回の制度を最低限の義務として捉えると、おそらく次のような対応になります。
「とりあえずマニュアルを作る」
「ポスターを貼る」
「相談窓口を決める」
「研修を一回実施する」
これでも形式上の対応は進みます。
しかし、現場で暴言を受けた事務職員が、
「店長に報告していいのだろうか」
と迷っていたらどうでしょう。
薬剤師が、
「患者だから我慢しなければ」
と30分、40分と一人で対応していたらどうでしょう。
あるいは管理薬剤師自身が、
「これくらい接客業なら当たり前だ」
と言ってしまったらどうでしょう。
マニュアルがあっても、組織文化が変わらなければカスハラ対策にはなりません。
だからこそ、日本薬剤師会のマニュアルが示している基本方針には、
「カスハラを従事者個人の問題としない」
「一人で対応を抱え込ませない」
「従事者の人格・尊厳を損なう行為を許容しない」
と明記されています。 薬局におけるカスタマーハラスメント対策マニュアル101712_…
ここに今回の制度の本質があります。
4.では、「チャンス」と考えた薬局は何をするのか
私は、今回のカスハラ対策には少なくとも4つの経営上のチャンスがあると考えています。
①「職員を守る会社」であることを明確にできる
薬剤師不足が続く中で、人材採用・定着は中小薬局にとって重大な経営課題です。
給与だけで職場を選ぶ時代ではありません。
「困った患者が来ても会社が守ってくれる」
「一人で対応しなくていい」
「管理者が代わってくれる」
という心理的安全性は、大きな職場価値になります。
カスハラ対策は、
リスク管理策であると同時に、人材戦略でもある
のです。
②医療安全を守ることにつながる
カスハラを受けた直後の薬剤師に、そのまま監査や調剤を続けさせることを考えてみてください。
恐怖、怒り、動揺。
その状態で薬剤名、規格、用量、相互作用を確認する。
これは医療安全上も望ましくありません。
資料でも、カスハラによる心理的動揺が集中力や判断力を低下させ、処方内容の読み違い、監査の見落とし、確認不足などのヒューマンエラーにつながり得ることが指摘されています。薬局のカスハラ対策
したがって、
カスハラ対策=従業員保護
だけではありません。
カスハラ対策=患者安全対策
でもあるのです。
③薬局の業務改善につなげられる
ここが私が最も注目しているポイントです。
カスハラが発生したら、
「困った患者だった」
で終わらせないことです。
発生原因を分析します。
例えば、
待ち時間 → 業務フロー改善
在庫不足 → 在庫管理・説明改善
自己負担への不満 → 制度説明改善
服薬指導への不満 → コミュニケーション改善
電話での長時間拘束 → 対応ルール改善
と変換できます。
つまり、
カスハラ記録を「事故記録」ではなく「経営改善データ」として使う。
これは中小薬局でも十分できます。
毎月、
「どんな苦情があったか」
「どの時間帯だったか」
「何がきっかけだったか」
「どこでカスハラ化したか」
を振り返る。
すると、患者とのトラブルが発生しやすい業務工程が見えてきます。
これはカスハラ対策から始まる薬局版リスクマネジメントです。
④「地域医療インフラとしての薬局」をつくる契機になる
薬局はこれから、在宅、健康支援、PHR、フォローアップ、地域連携など、患者との接点を広げていきます。
接点が増えれば、残念ながらトラブルの接点も増えます。
特に注意すべきなのが在宅です。
今回のマニュアルでは「職場」は薬局店舗だけではなく、業務を行う患者宅も含むと整理されています。 薬局におけるカスタマーハラスメント対策マニュアル101712_…
つまり、
「店舗のカスハラ対策」
では足りません。
電話、SNS、在宅訪問、患者家族、介護者、取引先まで視野に入れた組織としての安全管理へ変えていく必要があります。
これは、これから地域医療を担う薬局に必要な経営インフラそのものです。
5.「患者第一」から「患者と職員の双方を守る」へ
薬局業界には長い間、
「患者さんだから仕方がない」
「医療者だから我慢する」
という文化が少なからずあったのではないでしょうか。
しかし、ここは変える必要があります。
もちろん、患者の疾患、認知機能、障害、心身の状態などへの配慮は必要です。
日本薬剤師会のマニュアルも、説明方法を変える、家族に協力を求める、医療機関と連携する、対応者や対応場所を変えるといった方法を示しています。
しかし同時に、
患者側の事情に配慮することと、従事者が暴力・脅迫・著しい威圧を受忍することは別問題
と明確にしています。 薬局におけるカスタマーハラスメント対策マニュアル101712_…
私はここに、これからの薬局経営にとって非常に重要なメッセージがあると思います。
患者を大切にすることと、職員を守ることは対立しない。
むしろ職員が安心して働ける薬局だからこそ、患者に対して冷静で質の高い医療を提供できます。
6.経営者が10月から始めるべき「5つの行動」
難しく考える必要はありません。
まず次の5点から始めればよいでしょう。
- 経営者自身が「カスハラを職員一人に背負わせない」と宣言する
- 正当なクレームとカスハラの判断基準を共有する
- 「担当者→管理薬剤師→経営者→警察・弁護士」などエスカレーションルールを決める
- 発生事例を記録し、月1回、業務改善の材料として振り返る
- 患者にも「職員を守る薬局」であることを掲示・発信する
特に重要なのは1番目です。
カスハラ対策の出発点は、立派なマニュアルではありません。
トップの意思表示です。
7.「守りのカスハラ対策」から「攻めのカスハラ対策」へ
2026年10月1日の制度適用を、
「また薬局経営の負担が増えた」
と考えることもできます。
しかし、少し視点を変えると違って見えてきます。
カスハラ対策をきっかけに、
職員を守る。
離職を防ぐ。
医療安全を高める。
患者対応を標準化する。
苦情から業務改善を行う。
安心して働ける職場を採用力につなげる。
ここまで実行できれば、これは単なる法令対応ではありません。
立派な経営改善策です。
カスハラ対策を「コスト」と見る薬局と、「組織を強くする投資」と見る薬局。
この小さな認識の差が、数年後には人材定着率や患者サービス、医療安全、そして薬局そのものの競争力の差として現れてくるのではないでしょうか。
まとめ
今回のカスハラ対策で最も重要なのは、
「患者から職員を守る」という発想だけではなく、「患者と職員の双方を守る仕組みを経営としてつくる」こと。
ではないでしょうか。
患者の声には真摯に耳を傾ける。
正当な苦情は業務改善につなげる。
しかし、暴言、脅迫、人格否定、暴力には組織として毅然と対応する。
そして職員には、
「あなた一人で対応しなくていい。会社が対応する。」
と言える薬局にする。
私は、これこそが2026年10月から始めるべきカスハラ対策の本当の意義だと考えます。
カスハラ対策は、薬局にとって新たな負担なのか。
それとも、
「患者にも、職員にも選ばれる薬局」へ変わるためのチャンスなのか。
その答えを決めるのは、制度ではなく、経営者の捉え方と行動です。




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